開基 信楽房 

 

俗名 相馬太郎義清 

 

相馬次郎師常の子

父の影響を受け親鸞聖人の門弟となる。

後に、聖人のもとを離れるが、晩年、覚如上人が下向になったとき再び弟子に加えられたという。(大派弘徳寺伝)

当山では、京に上り、聖人の門人に加えられたと伝わっている。

 

相馬次郎師常

 

信楽房の父。相馬氏再興

建仁元年(1201年)、父・常胤が亡くなったために出家し、家督を相馬五郎義胤に譲る。出家後は法然上人の流れをくむ念仏者になったと言われている。

元久2年(1205年)11月、鎌倉相馬邸の屋敷で端座し、念仏を唱えながら臨終したという。

慈信房 善鸞上人

 

親鸞聖人の子

京へ戻られた、聖人の名代として関東の地へ派遣されるが、門弟に受け入れられず、聖人とは異なる方向へ導いたとされ、後に義絶されたとされている。

当山においては、開基信楽房によって、この地に招き入れられたとされ、活動の一つの拠点とされ、当山北側墓地に埋葬されていると伝えられている。